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相手の立場に立って考えるということ

さて今日は、先日電車が遅れたときに感じたことについて
お話ししたいと思います。
では、早速参りましょう!
 
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  ● 中央線人身事故でダイヤ乱れ
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先日、仕事で都心に出た帰りのこと。
東京駅から中央線に乗って帰っていたんですが、
途中で電車が急に止まってしまいました。
何があったのかなと思っていたら、車内アナウンスが。
「ただいま、○○駅付近の踏切で人身事故が発生し……」
ご存じの方も多いと思いますが、中央線は結構ダイヤが
乱れることが多いんですよね。
技術的なトラブルも多いんですが、人身事故による遅れも
かなり頻繁にあるんです。
夜の10時を廻っていましたが、仕事が終わり帰路に向かう
人達でいっぱいの社内からは、思わずため息や舌打ちが
聞こえてきました。
私も、数年前には、周りの人達と同じように、不快さを
全身で表現し、舌打ちしながら愚痴のひとつも垂れていました。
でも、最近は、そういうことはしなくなりましたし、
逆に、この車内の状況に違和感を感じるようになったんです。
その理由はといいますと……
 
 


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  ● 相手の立場に立って考えるということ
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世間ではよく、
「相手の立場に立って考えなさい」
ということが言われたりします。
例えば、
 「商談の時は、相手の立場に立って考え、提案をしなさい」
なんてことを言ったりするわけです。
で、わかりましたといって、商談の時だけ、相手の立場に
立って考えようとする人は、大抵商談の時にも相手の立場に
立つことは出来ないんですよね。
私が観察するに、相手の立場に立つことが出来ている人
というのは、必要なときにだけ、相手の立場に立つのではなく、
 ★ いつでも相手の立場に立てる準備をしている
んですよね。
さらに詳しく言うなら、
 ★ 普段から、自分のことよりも人のことを考える習慣がある
といってもいいかもしれません。
もちろん、そういう人達だって人間ですから、24時間人のこと
ばかり考えているわけでもないでしょうし、当然ながら自分のことを
考えているときだってあるとは思うんです。
でも、彼らの意識を観察していて、特に目を惹くのは
 ★ 人から不快な思いを与えられたときに、
   その相手の立場に立とうとする
という事なんですよ。
普通だったら、人から不快な思いを受けたら、自分をそういう目に
併せた人間を憎んだり、自分の理不尽な状況を怨んだりするもの。
でも、きちんと相手の立場に立って考えられる人は、そんな時でも、
 ★ 自分の中にわき起こったいらだちの気持ちは一旦脇に置き
相手の置かれた状況や心境を考えようとするんですよね。
だから、例えば電車が急に止まり、車内アナウンスで人身事故だと
知らされたとき、相手の立場に立てる人は、
 「ちっ! 全く迷惑だぜ!」
と、露骨に不快そうな顔をすることはないのです。
そうではなく、
 「事故にあった人は、大丈夫だろうか」
と思い、その人の無事を祈るんですよね。
さらには、こんなことだって考えているかもしれません。
時間帯によっては、電車による人身事故の遅れは、数万人に
影響を与えます。
という事は、数万人の人が迷惑に感じるわけです。
数万人の人が
「ちっ! 全く迷惑だぜ!」
と思っているわけです。
もし自分が、人身事故で怪我をした立場の人だとしたら、
自分が生きるか死ぬかという状況の中で苦しんでいるときに、
世の中の人達数万人から、自分に向かって舌打ちをされている
という状況に、果たしてどんな思いを抱くか。
もし自分が、数万人に舌打ちされながらこの世に別れを告げて
しまう状況になったら、どんなに悲しい人生の最後になって
しまうのだろうか。
そんな悲しい思いをさせてはいけないから、自分だけでも
安否を気遣おう。
仮にその人身事故が、飛び込み自殺だったとしても、自らを死に
追いやるほどの悩みや苦しみを抱えてたことにも想いを馳せ、
せめて自分が冥福を祈ってあげることくらいはしてあげよう。
本当に相手の立場に立つことが出来る人は、これくらいのことは
考える事が出来るんですよね。
少々事例としては極端かもしれませんが、今回のように、
人身事故に遭遇したとき、自分はどういった対応をしているか。
そういうことを考えて見るのも、自分自身が、相手の立場に
立ってものを考えるということが実践できているかを測る上で、
ひとつの参考になるかもしれませんね。
 
 
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           今日のトーク術・まとめ
 相手の立場に立てる人は、不快な目に遭ったときこそ、相手の立場に立つ
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かくいう私も、以前は、人身事故に遭うと、舌打ちしてしまう
人間でした。
でも、相手の立場に立てる人を観察し、その考え方をまねして
今も訓練をしている最中であります。
そして、最近ようやく、電車が人身事故で止まっても
イライラせずに安否を気遣えるようになりました。
そうなってみて思うのが、ほとんどの大人が、この状況下で
事故に遭った人の立場に立てないがゆえに、人としていかがな
ものかとも思えるような冷酷な反応を取ってしまう恐ろしさと、
自分自身が、ついこの間までそういう冷酷な人間であったこと
に気づかなかった驚きであります。
仮にも、人間として生まれ、暖かい血が流れているのならば、
見ず知らずの人とはいえ、少なくとも今の自分よりは大変な
状況に置かれてしまった人へ、さらに追い打ちをかけるような
憎しみ、いらだちの気持ちを向けるのはいかがなものか。
そういう人が、相手の立場に立ってものを考える事が出来ると
本当に言えるのだろうか。
そんな事にすら、思い至ることが出来なかった、以前の自分が、
本当に悲しく、また情けなく思うのであります。
もしあなたが、今回の話に思い当たることがありましたら、
自分は相手の立場に立って考える事が出来ていないことを
自覚し、もう一度改めて、相手の立場に立つということを、
日常生活のレベルから訓練していきましょう。
なぜなら、日頃から出来ないことが、必要なときにだけ出来る、
なんてことはあり得ないのですから。

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