研修などで、
「私、完璧主義なんですよね」
という人に、たまに会います。
ただ、この完璧主義という人にも2種類あります。
1つは、完璧であることを目指して行動し続ける人。
自分の仕事を完璧にするために、徹底的に取り組む。
完璧となるためには、膨大なエネルギーを費やすことも厭わない。
例えば、「タイタニック」「アバター」の監督をしたジェームズ・キャメロンは、完璧主義者として有名です。
例えば、タイタニックを制作したとき、彼は、リアリティを求めるために、実際に沈没したタイタニックの調査を行うために独自に深海調査用の特殊なカメラも制作するほど。
制作予算も膨大になり、彼は、自分自身のギャラや、収益配分を受け取る権利も放棄し、さらには、自ら借金もし、自宅も売り払ってお金を調達したのだそうです。
私個人としては、そこまでやろうとする人のことを完璧主義と言うのではないかな、と思っているんですが、しかし、私がお会いする、「自称完璧主義者」は、これとは逆の人たちがほとんどです。
その方たちは、自分たちの完璧主義を、
■ 完璧に出来ると確信出来るまで行動しない人
と定義しているようなのです。
そういう人は、大抵、完璧に出来ると確信することはありません。
なぜなら、この手の人は、出来ることを探そうとする前に、出来ない理由、上手く行かない理由を、まず考えてしまうから。
自分の能力や状況をベースに、出来ない理由を考え、そして、その出来ない理由を元に、行動しない、という選択を取る。そんな自分を、「完璧主義」と称しているようなのです。
でも、仕事においては、全てを完璧には出来るはずありません。
ですから、そういう人たちも、一応行動はするんですよね。
でも、本人が納得していないから、どうしても主体的・自発的に取り組めない。
どこか、他人事のように物事に取り組む事になってしまう。
さらに、やらされている、という感覚も強いので、どうしても他責モードのマインドがついて回ります。
だから、なおのこと、良い仕事が出来なくなってしまいます。
こういう、「悪しき完璧主義」から脱していかないと、良い仕事もいつまでも出来ませんし、精神衛生的にも
不要なストレスを抱えていくことになってしまいます。
そのためにも、もしあなたが、ご自分のことを完璧主義であると思いながら、実は、悪しき完璧主義になっていたとしたならば、まずやるべき事は、
■ 完璧主義、という言葉を定義し直す
ことをでしょう。
では、どのように定義し直すか。
私は、
★ 与えられた能力や状況を受け入れながら、完璧を目指し続ける人
であり、その中で、
★ 今の自分が出来る事を、日々完璧に実践する人
を、完璧主義としたら良いと思っています。
これならば、完璧を理由にしながら、行動しない人にはならず、主体的に考動する人になれますよね。
例えば、上に書いた、ジェームズ・キャメロンの「タイタニック」。そこでは、完璧主義によって出来上がった「完璧な」作品のように語りました。
しかし、実際には、完璧にはほど遠い、妥協の産物だったそうです。当初から莫大な金額がかかるから、ということで、制作の許可が20世紀フォックスから下りなかったのですが、97年夏の目玉となる予定だった作品が頓挫してしまい、その穴埋めとして、タイタニックの制作許可が下りた、という、なかなかに残念なスタート。
せめて、あと2ヶ月早くゴーサインが欲しかった、というタイトなスケジュールの中、予算も非常に厳しく、20世紀フォックス側から、内容についても、かなりの介入があったそうで。
なので、キャメロンも、脚本段階で大切なシーンを泣く泣く削ったり、当初予定していたSFXも、かなり削りまくったそうです。
そんな、おそらくはキャメロンのイメージしていた完璧とはほど遠い、妥協の産物になる。それは、制作の最中、キャメロン自身も自覚していたことでしょう。
それでも、キャメロンは、全てを投げ打って、その時々で出来ることを完璧にやりきりながら、完成にこぎ着けた。
それが、2009年まで映画史上最高の興行収入を記録した、あの映画だったんですね。
ということで、是非、自分を止めてしまう完璧主義の定義を手放し、行動し、成長できる完璧主義に、言葉を再定義していきましょう。
今日のまとめ
・行動を止めず、行動を促すよう、完璧主義を再定義しよう
※例
与えられた能力や状況を受け入れながら、完璧を目指し続ける人
今の自分が出来る事を、日々完璧に実践する人