昨日、2019年4月1日に、新元号が「令和」と発表されました。
万葉集からの出典とのことで、安倍総理の言葉によると、
「厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、 見事に咲き誇る梅の花のように、 一人一人の日本人が明日への希望と 共に、それぞれの花を大きく咲かせる ことができる、そうした日本でありたい
との願いを込め『令和』に決定」
したそうです。
元号については、賛否色々と語られていますが、そもそも、なぜ元号なるものが決められたのか、ということが、気になった方も多いのではないでしょうか。
ということで、wikipedeliaさんで調べてみると、こう書いてありました。
「皇帝や王など君主の即位、また治世の途中にも行われる改元によって元年から再度数え直され(リセット)、名称も改められる。
(中略)
君主が特定の時代に名前を付ける行為は、君主が空間だけでなく時間まで支配するという思想に基づく。『正朔を奉ずる』(天子の定めた元号と暦法を用いる)ことがその王権への服従の要件となっていた」
こうしてみると、権力者の権力誇示のためのものかと、思ってしまいます。
しかも、過去に248回も元号改正が行われているとのこと。
明治以降は、一世一元の制で、天皇が在位中は元号は変えない制度となっていますが、江戸時代以前は、数年に1回と、コロコロと元号(当時は年号と言っていたそうですが)を変えています。
おまえら、どれだけ権力誇示をしたがっているんだ、と、ツッコミを入れたいくらい。
しかし、その改元理由を調べてみると、ただの権力誇示、というわけではない、ということが解りました。
その理由は何かというと、
■ 災害によるもの
なんですよね。
もちろん、天皇が変わったタイミングや、慶事などをきっかけに元号が変わることはありますが、10世紀以降は、大地震や、大飢饉などの災害が起きたあとで、改元しているケースが非常に目立つんですよね。
歴史講師の八柏龍紀氏によると、日本古来の天皇の努めは、
「五穀豊穣と天変地異の鎮撫をはかり、被災者や犠牲者に祈りを捧げる」
ことだったそうです。
元号改正は、この考えを元に、「穢れ」を払う意味も込めて行われていたとのこと。
つまり、ただの権力誇示ではなく、災害に苛まれた民のケアと、新たに難局を乗り切る意識を生むための行為でもあったわけです。
リーダーは、なにか問題が起きたとき、その問題を解決をするが求められます。
その際に、起きた問題への対処ばかりをしているだけでなく、メンバーたちの意識を、どこに向けるか、そのために、どうするか、ということを考えることも非常に重要となります。
問題によって傷ついたメンバーを、どうケアしていくか。
メンバーたちが、この難局を乗り切れるような気持ちのベクトルをどう生み出すか。
これを考えるのがリーダーの役割であり、その考えを実行するために、権力がある。
こう考える必要があるんですね。
平常時はさておき、緊急時や、ここぞ、というときは、具体的なことへの対処にばかり意識を取られず、メンバーの心のケアや、意識のベクトル作りも重要となる。
そのことを、今回の元号改正という出来事をきっかけに、改めて知ったのでありました。