仕事上の人間関係や働き方の悩みに、効果があるブログです。時々チクリとしますが、読んで実践すれば、心も楽になり、仕事の成果も変わってきます。

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自分が出来るかどうか、真剣に考えないのが、プロフェッショナルになるポイント

前回、前々回と、革製品修理職人の
保科美幸さんのお話をしております。

前回のブログはこちら。

欠乏感を悪者扱いしていないか?

前回のブログでは、保科さんが好きな
仕事を手に入れられるまでには、

1.迷走期

2.集中期

3.覚悟以降期

の時期があり、そのうちの迷走期について
お話しました。

本日は、2番目の「集中期」について
お話します。

本当にやりたいことが見つからず、
仕事を転々としていた保科さん。

彼女に転機が訪れたのは、革製品修理工房
の受付で働き始めたことがきっかけでした。

最初のうちは、枝毛を探すことに余念が
無かった彼女でした。

しかし、修理品を受け取りに来たお客さん
が、仕上がりに満足せずに、がっかりした
顔をして帰っていく様を、何度もみてしまい
ました(※1)。

保科さんは、それを見て、

「お客さんの悲しい顔を見たくない」

と思います(※2)。

そして、それをきっかけに、勝手に革製品の
修理をし始めます(※3)。

それを続けていたら、責任者の方から、
職人にならないか、と声をかけられ
気軽にその世界に入りました(※4)。

しかし、初めて解ったのが、自分の職人と
してのレベル・能力の低さ。
そのことに愕然とします(※5)

そこから、保科さんは、自分の知識と
技術を上げる事にすべてのエネルギーを
注ぐようになりました。

……と言うことで、集中期に突入するまでの
彼女の敬意を、私なりに細かなステップに
分解しながら※印を売ってみました。

実は、このプロセス、プロフェッショナルに
なった、多くの人が通る、ある種王道の
ルートなんですよね。

この※印のポイントは、プロになる人と
プロになれない人の分岐点になっていると
私は考えています。

で、この5つの分岐点を超えられた人は、
プロフェッショナルへの入り口に立てる
なのではないかな、と思うんですよね。

という事で、ひとつずつみていきましょう。

まず、※1ですが、これはもう、働いて
行くうちに、たくさんの人が経験します。

自分の関わる仕事で、お客さんが、その
商品やサービスに満足しなかった。

これに対して、仕方ない、とするか、
くやしい、という心の引っかかりを
もつかどうか。

ここで引っかからない人は、お客様は
悲しい顔をしているけれど、それは
私が修理したわけじゃないし、自分、
職人じゃないし、私には関係ないよね、
と考えます。

まあ、これはその通りであるんですがね。

でも、保科さんは、これを良しと
しませんでした。

これが、第一の分岐点です。

次は、この悔しさを、自分自身で解決して
やろうと思うかどうかです。

お客様が満足していない事に引っかかりは
あっても、自分は職人じゃないし、自分に
満足させる仕事が出来るかどうか解らない。

仕事が未経験の人ならば、普通はそう
思って、くやしいけれど仕方ない、
と思うでしょう。

しかし、彼女は、自分がなんとかしたい、
と思いました。

自分に出来るかどうか考える、なんて
こと、考えないんですね。

これが、※2の分岐点ですね。

しかし、そう思っても、具体的に行動
するかどうかは、また別の話。

普通なら、自分がなんとかしたい、と
思っても、実際に手を出すことなど
しないでしょう。

経験もしていないことに、勝手に手を出す
事など、しないでしょうし、ましてや、
やらせて下さい、なんてことも、図々しい
と思ってい出せないでしょうから。

なので、ここで多くの人が脱落し、
プロの道へと進まなくなります。

でも、彼女は、アクションを起こし、
自分で修理作業を勝手に始めました。

もうね、すごいですよね。
職人の仕事、舐めてますよね(笑)。

でもここが※3の分岐点になるわけです。

そして、舐めたまま仕事に取り組むので、
職人にならないか? と聞かれても、
深く考えず、

「アタシ、出来んじゃね?」

くらいの気持ちで、軽く受けちゃうん
ですよね。
(水野の妄想)

普通ならば、

「私に勤まるだろうか」

と真剣に悩んでしまうところ、深く考えず
受けてしまうわけです。

これが※4の分岐点です。

そして、ここから、自分の本当の実力の
無さにぶちのめされます。

ブランドのことも解らない、革のことも
知らない、勢いだけでなった新米職人は
己の無能さを思い知らされるわけです。

で、ここまでこられる人も数少ないの
ですが、ここまでこられた人も、この

■ 己の無力さと対峙する

というプロセスで、

「私は勤まらないんじゃないか?」

「この仕事は向いていないんじゃないか?」

という不安と恐れで、脱落していく人が
少なくありません。

しかし、保科さんは脱落しませんでした。

「やべえ! アタシやべえ!!」

といって、ひたすら頑張るんですよね。
(注:水野の妄想)

いや、もちろん、向いてないのでは、
みたいな気持ちもよぎったとは思うん
ですよ。

でも、多分もう、彼女としては、
引くに引けない状態だったんだろう
と思うんですよね。

深く考えていなかったとは言え、
自ら乗ってしまった船ですから。

だから、もう、出来るかどうか、
じゃなくて、やるしかない。

そんな気持ちだったんだろうな、
と思うんですよね。

だから、もう、遮二無二頑張って、
出来る職人になって行くしか
考えられなかったんだろうな、
と思います。

まあ、かなり私の妄想が入り込んでいる
プロセスの見立てでありますが、面白い
ことに、その道のプロと言われている
人たちは、結構これと似たようなルートを
辿っているケースが多いんですよね。

これくらい、自分にも出来るんじゃ、
という舐めた気持ちで始めた、ってプロ、
どの世界にも、結構いるんですよ。

逆に言うと、出来るか出来ないか、
やる前から真剣に考えてしまう人は、
その道のプロになれないのではないか。

そう思えるほど、プロは、やる前に、
出来るか出来ないか、という視点で
真剣に考えません。

その理由はなぜか。

出来るからやる、と言うのは、自分の
安住領域を超えて行動しようとしない
人たちです。

しかし、プロというのは、自分の安住領域を
超えて、それを広げ続けていく人なんです。

だから、最初の一歩については、出来るか
どうかを真剣になんか考えません。

とりあえず、やる。とりあえず、受ける。

そして、出来るかどうか、ではなく、
どうすれば出来るか、を真剣に考える
人たちなんですよね。

そして、なんとかしたら、また次の仕事も、
出来るかどうかではなく、とにかくやると
決め、そして、受けた以上、それをやり切る
という事を、続けて行く。

これがプロなのかな、と思うのであります。

そして、保科さんは、まさにこの、
出来るかどうかをまっさきに考えず、
出来ることは何か、ということを考え
続けて来たから、ここまでのプロになれた
のではないかな、と、私は思うのであります。

それは、彼女の座右の銘、

「迷ったら、やる」

によく現れていると思うんですよね。

という事で、次回は最後のステップ、
覚悟以降期のお話となります。

※続きはこちら

好きは、受身ではなく能動的意思決定である

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