今日は、ちょっと趣向を変えて、私のヘタレ体験をお話します。
どうか、肩の力を抜いてお読み下さい。
あと、お食事時によむのはお勧めしません(笑)。
ちょうど一年前の2018年6月下旬。
私は、お尻に違和感を覚えた。
何やら、もじもじし、少しかゆみを
感じるのだ。
以前から、ごくたまに、同じような
違和感を覚えたことはある。
特に、お腹を下したときなどの後や、
辛いものを食べた後などには、この
違和感を何度も経験してきた。
だから、まあしばらくほおっておけば、
すぐに元に戻るだろうと思っていた。
しかし、この違和感は、日に日に悪化
していった。
違和感から、痛みへと変わっていったのだ。
そしてその痛みは、3日もすると、歩く
こともしんどい、というレベルにまで
高まってきた。
私はたまらず、2018年6月26日、
マツモトキヨシ中野通り店で、
プリザS坐剤を購入。
そして、然るべき場所に、然るべく
設置をした。
これでひと安心だ。もう大丈夫。
プリザSに後ろを守られた私は、
安心して眠りについた。
が、しかし。
翌、6月27日。
痛い。
メッチャ痛い。
痛みがハンパ無い。
まるで、プリザSが効いていない。
いやむしろ、プリザSが私に攻撃を
仕掛けているのではないか、と思う
くらい、痛い。
これはいったいどういうことか。
オレは何かプリザSに悪いことでも
したのだろうか。
心当たりは何にもないのだが、
もし謝って済むなら、すぐにでも
土下座するから許してくれ。
そう懇願したくなるほど、
尻の穴が痛いのだ。
※※注※※
誤解のないようにいっておきますが、
これはプリザSに問題がある訳では
なく、そもそも私の症状に、坐薬は
効かな買った、ということであり、
プリザSの効能を否定するものでは
ありません。プリザS万歳!
※※注終わり※※
これはまずい。
病院に行かないと。
が、しかし、ここで、ブレーキが。
病院、行きたくない。
お尻の穴、見せたくない。
なんと。
羞恥の気持ちが、私の建設的な改善行動を
強く強く止めてくるのだ。
そして、その羞恥心は、
「もう一回さ、プリザS試してみようよ。
病院に行くのはさ、それが効かなかった
ときでいいじゃん。
多分、今度のプリザSで治るよ、うん」
と、私にささやくのである。
そして、私は、そのささやきに、抗い
きれない魅力を感じてしまっていたのだ。
そうだ、そうしよう。
羞恥心からの声にそそのかされて
しまった私は、もうひとつのプリザS
を手に取り、然るべきところに収め
ようとした。
が。
もはやそれは叶わなかった。
痛い。痛すぎる。
プリザSのとがった先を、然るべき
ところに軽く押しつけただけで、
悲鳴を上げてしまうくらい、痛い。
この痛み、尋常ならざり。
ここに来て私は、覚悟した。
晒そう。尻の穴を晒そう。
私は、私の身を守るために、
私の尻の穴を晒すのだ。
晒す覚悟を決めるのだ。
羞恥心という名の悪魔よ、去れ!
これ以上、私を過ちへの道へと誘うな!
キリストが荒野にて悪魔の誘惑を
退けたように、私も、羞恥心の
悪魔のささやきを退けたのだ。
そして、痛みを堪えてパソコンの前に座り、
「肛門科 中野」
とキーワードを打ち込む。
幸い、徒歩圏内に病院が見つかり、
痛みを堪えながら、ヨチヨチと、
その病院へと歩いて行った。
そして、道中、こんなことを思った。
私は、弱い。
自分なりに、メンタルトレーニングをして
来たにも関わらず。
そして、その経験を、人の育成に携わる
仕事の中で、偉そうに、たくさん語って
来たにもかかわらず。
私は、お尻の穴を見せたくない、という
恥ずかしさだけで、自分の身を危うくさせる
行動を選択してしまうような、弱い人間
だったのだ。
なるほど、そうだったのか。
しかし、それはそれで、受け入れるしか
あるまい。
私は、まだまだ弱い人間なのだ。
自分で思っていた以上に、弱い、
ヘタレな人間だったのだ。
尻の痛さと、自らの弱さに呻きながら、
私は、病院に向かうのであった。
が、しかし。
この自分の弱さ、ヘタレさと向き合い
合わされる、という体験は、まだまだ
序章に過ぎなかったのだ。
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