前回のブログでは、革製品修理職人の保科美幸さんの
お話を紹介しました。
今回は、ではなぜ、保科さんが、この道を
究めるまでに好きな仕事を手に入れられた
のかを、考えてみましょう。
ちなみに、今日のメルマガは、私の憶測が
かなり入ってきますし、それを自覚して
お話しますので、無粋なツッコミは
ご遠慮下さい(笑)。
さて、今回の保科さんの人生を3つに
分けるとしたら、
1.迷走期
2.集中期
3.覚悟以降期
になるかな、と。
迷走期は、自分のやりたいことが見つから
ない、と悩んでいた時期です。
保科さんは、この欠乏感は、学生時代から
ずっと感じていたようです。
私的には、この欠乏感は、とても大切な
感覚だと思っています。
最近の自己啓発や癒やしの世界などでは、
この手の欠乏感は、執着を生んだり、
欠乏しているがゆえの自己肯定感の喪失
につながってリするので、悪しきもの
として取り扱われることが多いようです。
ただ、その考え方に染まりすぎて、
欠乏感を持っているにもかかわらず、
その気持ちから目を背け、今の自分に
満足してますよ、といいながら、結果
自己矛盾を抱えて無意識のうちに苦し
んでいる人は結構います。
また、欠乏していることに対して、
こんな気持ちを持つのは良くないから、
もう手に入れるのは無理だとあきらめよう
と、早々に決めてしまい、欠乏感を感じ
ないようにしてしまう人もいます。
これもまた、自分の可能性にふたをする
行為にもなりかねないので、私的には
もったいないなあ、と思うんですよね。
自分の中に、欠乏感があるならば、それは
無視せず、持ち続けてもいいんですよね。
そして、その欠乏感を、上手く使って、
自分の人生を前に進める原動力に使えば
良いんです。
だからといって、誤解して欲しくないの
ですが、欠乏感を持て! と言っている
訳ではありませんからね。
今の時代、本当に欠乏感を感じずに
生きている人たちはたくさん出て来て
います。
特に、若い世代の人たちは、いい意味で
欠乏感、ハングリー精神を持たず、今の
ままの自分を活かして、生きたいように
生きているなあ、と、話を聞きながら
感心することもよくあります。
ただ、昭和の世代の人たち(以前の私含む)
から見ると、
「ハングリー精神が足らん!!」
などと、批判的に見る向きもあります。
でも、これはホント、お門違いの批判で、
無視して良いものだと思います。
欠乏感が無い人は、そのまま、生きたい
ように生きればいい。
でも、もし自分が欠乏感を持っているならば
それは素直に認め、しかし、その欠乏感に
振り回されたり、自己否定の道具に使ったり
せず、欠乏を埋める努力のエネルギーとして
有効活用すればいい。
そう私は思うんですよね。
だから、もしあなたが、欠乏感があって、
それを受け入れずに目を背けてしまって
いたら、ぜひ、その欠乏感を受け入れて
あげ、だからといって自分を責めず、
ただ粛々と、その欠乏感を埋める行動を、
遠慮無くやっていって下さいね。
という事で、引き続き次回に続きます。
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