仕事上の人間関係や働き方の悩みに、効果があるブログです。時々チクリとしますが、読んで実践すれば、心も楽になり、仕事の成果も変わってきます。

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独白シリーズ【長文注意】

※ 以下の文章は、2012年10月2日から、10月16日までの
  メールマガジンで書いた、心屋仁之助さんのセッションを受けた
  ことによって起きた自分の変化のプロセスです。
  
  悩みが深かったときの心境をトレースしつつも、面白可笑しく
  書いてやろうと思って書いております。
  ということで、大筋は実話でありますが、心理描写などに
  かなりの誇張表現があったり、随所に創作が含まれておりますが、
  そこは笑って受け止めてやって下さい。
■□ 2012年10月2日発行 □■
━━━━━
  ● 独白・仕事がつらい
─────
今日から3日間、多分、僕はこのメルマガで、
支離滅裂な内容を書くと思う。
頭の中も整理されていないし、気持ちの整理も付いていない。
だから、つじつまの合わないところや矛盾のあるところも
たくさん出てくるだろう。
今までの自分は、それをよしとしなかった。
だけど、今回は、それをよしとして書いてみようと思う。
その理由は、おそらく3日後に解るかもしれない。
解らないかもしれない。
自分も解らない中で、このメルマガをスタートすることとする。
正直に告白する。
僕は実は最近、仕事がつらかった。
自分では天職だとも思っていた、セミナーや研修の
仕事が、つらくなったのだ。
いや、正確に言うと、セミナーや研修の仕事
そのものは、つらくは無かった。
本当につらかったのは、自分の中に生まれてしまった、
一貫性の無さだった。
自分がセミナーや研修で伝えるメッセージとマインド、
それと、自分が最近思うようになった考えとのギャップ。
これが、自分の中で、どんどんどんどん大きくなってきて、
研修やセミナーをやればやるほどつらくなったのだ。
いままで、僕の発信してきたメッセージは、
一所懸命で精一杯の努力を求めるものだった。
  やるならば、120%で取り組め。
  相手のことを常に真剣に考えよ。
  相手を信頼し、生涯つきあう覚悟を持て。
  人に貢献し、価値を提供しなければビジネスではない。
  言行に一貫性を持たせよ。
  常に期待を越えよ。
これらのメッセージは、今でも間違っていないと思っている。
実際、38歳で事業に失敗して、人生のかなりのものを失って
しまったが、そこから今の自分まではい上がって来れたのは、
この考えを実践してきたからだった。
だから、この考えは間違っていないのだ。
だけどつらい、だけど苦しい……
その理由は、悩み始めのうちはよく分からなかった。
間違っていることを言っているわけではないし、自分自身も
パーフェクトでは無いけれど、常にこれを心がけて生きている。
実際に、セミナーや研修では、年を追うごとに、受講生の
評価も上がってきているし、成果も上がっている。
しかし一方で、明らかに私のセミナーや研修を受けて、
つらくなっている人も、わずかであるがいるようだ。
また、研修では、担当者の方に、容赦の無い要望をぶつけるし、
納得いかないと、テーブルをひっくり返すことすらいとわない
ような言動をとるようにもなった。
もっと成果を出し、もっと結果を高め、もっと貢献しなければ。
もっと、もっと、もっと……
自分が正しいと思っている考え方を推し進めていくように、
僕は今まで以上に全力で物事に取り組むようになっていった。
当然、研修やセミナーが終わると、もうヘトヘトだ。
でも、それは、「全力で、一生懸命やった証」として、
肯定的に受け止めていたのだ。
でも、最近は違う。
なんだか、いやな疲れ方になってきたのだ。
昔は、全力で参加者と向かい合ってきたような気持ちでいた。
だから、一生懸命やった、という達成感があった。
しかし、今は、ちがう。
全力で向かい合っている、というより、自分の正しさを、
ぐりぐりごりごりと、参加者に押しつけているような
感じなのだ。
相手が、キャン! といって、こちらの考えを受け入れるまで、
ぐりぐりごりごり、自分の正しさを押しつけているように
感じているのだ。
そうやって、受講者や担当者をある意味苦しめる。
でも、それでも成果や結果が出る。
一定の満足度も得られている。
ならば、変える必要があるのか?
本来ならば、無い、という答えになるだろう。
自分としては辛く苦しくなっているのだけれど、でも、
楽しくやるばかりが仕事じゃないし、成果や結果を
最大限に重視するのであれば、自分が我慢すればいい。
そう思っていたから、違和感を感じながらも、この考えと
やり方を、ずっと貫いてきたのだ。
しかし、その考え方を改めた方がいい、と思えるようなことが、
いくつか出てきた。
ひとつは、仕事が思うように広がらない、ということ。
今でも、それなりに仕事は頂いている。
だけれども、周りの人の言うことには、水野のポテンシャルが
それだけあるならば、もっと仕事が広がっても良いのではないか、
だそうだ。
実際、私自身も、仕事に対しては頭打ち感を感じている。
売上だって、ここ数年は、横ばい状態だ。
ただ僕は、ヘタにスケールを大きくしていくことを目指すより、
成果重視、品質重視にこだわって行きたいと思っている。
しかしそれでも、本来のポテンシャルから言ったら、このレベルに
留まっているのは、どう考えてもおかしい、と、何人かの友人に
しょっちゅう言われている。
そして、僕自身も、あるところで、ピタッと頭打ちになって
そこから上に越えていけない、見えない壁を感じているのだ。
それは、単にビジネスのやり方がまずい、とか、もっと頑張れば
良い、といった次元の問題ではない、ということは感じていた。
明らかに、自分の中に大きく分厚い殻があり、それを壊さない限り、
次のステージに進めないのだろう。
特に今年になって、その意識は強くなっていった。
さらに大きな課題感を感じていたのは、僕自身の
セルフイメージの低さである。
自分はたいしたことない、という気持が、常にどこかで
ついて回っている。
これは、決して「謙虚な気持ち」などではない。
自分を矮小化する、あまりよろしくない気持ちである。
しかし一方で、自分はすごいとも思っている。
人より秀でた能力だってあるし、だからこそこんな仕事が
出来ている、という自負だってある。
しかし、それでもなお、「自分はたいしたことない」という
気持ちがついて回り、節目節目で、自分の行動をおかしくして
しまうのである。
気軽に会いたい人と会えなかったり、人前に出ると不必要に
緊張したり、格上の人だと思うと、すぐに腰が引けてしまい、
卑屈になってしまう。
それではいかんと、自分の気持に無理をして、必要以上に
出てしまったり、自分のすごいところを見せつけようと
することに、過剰なエネルギーをつかったりしてしまう。
そして、ここでもまた、ヘトヘトになってしまうのだ。
そんな、無理矢理生きている感と、卑屈感と、このままじゃ
いけない感と、めんどくさいや感と、もうどうでもいいや感と、
そんな感情がない交ぜになって、混沌の極みとなっていた。
だから、決めた。
そうだ、京都に行こう、と。
 
 
■□ 2012年10月3日発行 □■
━━━━━
  ● 「独白・~」というタイトルのメルマガはこう読んで下さい
─────
おはようございます。
水野です。
昨日から、ここ最近自分に起きていた悩みについて、
書いております。
やはりというかなんというか、読者の方たちから、
色々とメッセージを頂きました。
ありがとうございました。
しかし、唐突にこんなことを書き始めたせいか、
心配して下さる方もたくさんいらっしゃって、
そちらの方は申し訳なく思っています。
基本的には、自分の中では、この悩みにつきましては、
一応の決着が着いております。
現在書いている内容は、すでに過ぎ去った過去の話を
当時の自分の心境を出来るだけ忠実に再現しながら
時系列に書いております。
ですので、昨日のメルマガに書いた最後の1文にある
「そうだ、京都に行こう」
と思ったのも、昨日の話ではなく、過去のお話であります。
メッセージを寄せて下さった方の中には、
「もう京都に着きましたか?」
「どのお寺で修行するんですか?」
「出家しちゃうんですか?」
「ラーメン好きのことだから、天下一品の本店にも行くんでしょ?」
という方がいましたが、京都に行ったのも、すでに過去の話で
ありますし、決して修行に行ったわけでも、出家しに行ったわけでも、
ましてや、天一の本店に行こうとしたわけでもありません。
特に、最後のメッセージをよこしてきたアホには、
猛省を促したいと思います。
天一ラーメン好きだけど、あんな深い悩みを抱えながら、
あんなこってりしたラーメンなんかたべられるか!
あと、一部の方からは、
「このメルマガはひどい!
 読者を試そうとするな書き方をするな!」
というメッセージを頂きましたが、僕も会ったことも
ない人をわざわざ試そうとするほど暇人じゃありません。
勝手にそんなうがった見方をして、不愉快になって、
文句のメッセージをよこすくらいなら、このメルマガを、
読まずにいた方が、お互い精神衛生上楽ですので、
とっとと解除して下さい。
なお、この方に限らず、購読解除をするに当たって、
当方を不愉快にさせるような捨て台詞をよこした場合、
このメルマガでさらし挙げた上で、その人を呪いますので
ご承知おきを。エコエコアザラク、エコエコザメラク……
ということで、整理しますと、この「独白・~」から
始まるこれからのメルマガは、僕の中に起き、そして今は
一応の決着が付いた、過去の出来事であることであります。
また、これを書く理由は、自分の心や考えに整理を付けたり、
新たなチャレンジを試みたり、というつもりで書いておりまして、
申し訳ありませんが、読者のために書いているものでは
ございません。
多分、役に立つ、という点で言えば、ほとんどの人には、
直接役に立たないでしょう。
ですから、読者の方は、今後は、このメルマガを読み飛ばすか、
ないしは、僕の悩みや葛藤を無責任に楽しむ、というスタンスで
お読み下さい。
ただ、ごく一部の、人生に大きな転機を迎えていて、
しかし転じきれずに、【本気で】悩んでいる、という人には、
役に立つかもしれません。
事実、自分にとっては、10年前に事業を潰して借金に
あえいでいたとき以来の、そしてその時以上につらく
しんどい、大きな転換期を迎えていたんですからね。
でも、きっと傍目で見たら、
「そんなことになやんでんの? バカみたい! ハハ!!」
と、まさにローラばりの軽さで流してしまうような、
そんな話なんですよ。
ただ、そんな話であるがゆえに、本人にとっては悩みも深く、
その悩みを受け入れられず、受け入れても変えていくことが
出来なくて、苦しむわけです。
でも、この手の苦しみは、人からどうこうされたところで、
和らぐものではないので、自分でじっくり解消していかないと
いけないものなんですよね。
だからこそ、読者の皆さんは、そんなに心配したり、私のことを
何とかしようとしたりせず、無責任に、無責任に、これからの
私が語る話を面白がって下さいな。
ということで、明日以降しばらく、読者のことなどこれっぽっちも
考えず、自分の事を、書きたいように書かせてもらいます!
 
■□ 2012年10月4日発行 □■
━━━━━
  ● 独白・先生と教え子の立場が逆転した
─────
そうだ、京都に行こう。
天職だと思っていたセミナーや研修の仕事につらさを感じ、
ブレイクスルーを求めていた僕は、そう思った。
なぜ京都なのか。
そこには、ある友人のカウンセラーが居て、彼に
カウンセリングを受けようと思い立ったからなのだ。
しかし、そう決断するまでもまた、苦しみと迷いの
連続だったのだ。
彼は、僕と同い年で、四〇歳過ぎに独立をした人。
僕より遅いデビューで、しかも彼は独立前に、
僕のセミナーに参加してくれていた。
「心理カウンセラーで独立したい!」
と言っていた彼に対して、僕は、
「果たして、いい歳こいて、そんなフワフワした
 仕事なんか始めて、成功など出来るんだろうか」
と、思いっきり不安を感じた。
しかし彼は、独立するために一生懸命勉強し、
当時僕がやっていた全てのセミナーに参加した。
そうなると、僕も放っておけない性格なので、なんとか
してやろうと思い、独立後の参考になればと、受付を
手伝わせたり、良いセミナーがあったら紹介してやったり
していたのだ。
その後彼は、僕の心配をよそに、カウンセラーとして独立した。
そして、カウンセリング技術に磨きをかけ、具体的な成果を
次々に出していった。
その手法は、僕から見ても、効果の高いアプローチだと
感心するものであった。
また、2008年には本も出版。
その後も順当に出版を重ね、累計12冊、
数十万部を売るベストセラー作家になった。
セミナーも高額にもかかわらず、いつも満員御礼。
そして、この秋にはテレビの全国放送で、レギュラー出演まで
決まった、売れっ子のカウンセラーになったのだ。
教え子の成長と成功は嬉しい。
しかし、成長しすぎ、成功しすぎの感も否めない。
正直、悔しい。嫉妬する。そんな気持ちも結構ある。
とはいえ、amazonのレビューに★1つを付けたり、
怪文書を流したり、といった、相手の足を引っ張る
行為をするのは潔くない。
それに、自分は彼の世話になることも無いだろう、
とも思っていたので、内心は忸怩たる思いでいたものの、
外面は笑顔でおめでとう、というスタンスを装っていたのだ。
しかし今回、このような大きな混沌に、僕は飲み込まれた。
そして、この混沌から抜け出したいと思った。
そして色々なアプローチを試し、しかしなかなか上手くいかず、
八方ふさがりになってしまったと感じたとき、僕はあの
忌まわしき彼のことを思い出したのだ。
どうやら、自分の中に起きた、大きな悩みを解決する為には、
彼の、あのカウンセリング手法しかないのではないか。
しかし、彼のカウンセリングを受けるのは、かなりの
心理的な抵抗がある。
何せ僕は彼の先生だし、彼は僕の教え子だし。
彼が売れっ子カウンセラーとして成功し、上の世界に行って
しまった今、彼と僕との、最後の上下関係を維持する、
この「師弟関係」というポジション。
彼のカウンセリングを受けると、この最後の牙城が崩れ落ちて
しまうではないか。
そう考えた僕は、思いっきり躊躇しまくったのだ。
しかし、僕の悩みもかなり瀬戸際まで来ている。
感覚的に、もう待ったなし、という状況なのだ。
だから、やむにやまれず、彼に連絡を取ることを
決意したのだ。
そして、9月上旬。私は彼に電話をかけた。
「どうもご無沙汰~♪ 水野ですぅ~♪」
「おー! ご無沙汰ですぅ!!」
まずは軽いあいさつから。
まだ師弟関係は崩れていない。
慎重に事を進めねば。
「実はね、今度の9月28日にね、関西方面で研修の
 仕事が入ったんだよ」
「へえへえ」
「だからね、その時、ついでにちょっと京都に立ち寄るから、
 久しぶりに飯でも食わない?」
「おー! いいねぇ!!」
よーし、まだ師弟関係は崩れていない。
なにせ、水野「先生」が、わざわざ教え子の元まで、
足を運ぶわけだからな。
リアクションの言葉に尊敬と感謝の念が、あまり
感じられないのは気になるけれど、立ち位置的には、
これで僕は、彼にかなりの恩を売ったことになるのは
間違いあるまい。
交渉ごとは、出来るだけ優位な立ち位置で始めるに限る。
これで上の立ち位置を取れたのだから、今後の交渉も
比較的スムーズに進むだろう。
「それでさあ、あなた、今、カウンセリングやってると
 思うんだけど、僕にもカウンセリングしてくれない?」
出来るだけ爽やか、かつライトに、
僕は本題をすっと切り出してみた。
「いやあー、水野先生にカウンセリングなんて恐れ多いっすよ!」
そんな返事を期待していた。
僕は、そういう返事を期待していたのだ。
しかし返ってきた言葉は、ちがった。
「いやあー、実は今ボク、個人カウンセリングやってないの」
あっさりと……実にあっさりと……
こっちは清水の舞台から飛び降りる勢いでお願いしたにも
かかわらず……
へりくだることも、恐れおののくこともなく、
彼は僕の要請を、あっさりと断りやがったのである!
気が動転した僕は、交渉ごとにおける立ち位置の重要性を忘れ、
思わずこう言ってしまった。
「えー! まじでー! いやあ、なんとかなんないかなぁ。
 実はさあ、今自分、悩みのドツボに入っちゃっててさぁ……」
そして、今自分が悩んでいる内容を、全て白状してしまったのだ。
「ドツボ」などという、もはや死語になってしまった単語まで
無意識に使ってしまうほど動転して、僕は自分の悩みを、弱みを、
こともあろうか、教え子に全て白状してしまったのだ!
僕が白状し終わると、彼は優しくこう言った。
「まあまあ、じゃあセッションとかじゃなくって、
 食事しながらお話ししましょうよ」
「あ、ありがとうございます!」
その言葉に、僕は思わずお礼を言い、お辞儀をしてしまった。
そして、日時を決めた後、再会を約束して電話を切った。
電話を切った後、徐々に腹が立ってきた。
悔しい! 教え子に上のポジションを取られてしまった!
大体、昔の恩人がお願いしているにもかかわらず、
のっけから断るやつがあるか!!
大体、口の利き方だってなってない。
大体、なぜこちらのことを「先生」と呼ばない!
大体、なぜ、
「今の自分があるのも、みんな水野先生のおかげです」
と、開口一番言わないのだ!!
ちくしょう! ちくしょう!!
これはもう、一発ぶん殴らないと気が済まない!!
みぞおちに一発、そして、前に倒れかかったところで
左あごにもう一発、拳を喰らわさないと気が済まないのだ!
だから……
だから……!
だから……!!
だから! 京都に行こう!!!
 
 
■□ 2012年10月9日発行 □■
━━━━━
  ● 独白・あたたたたたたたたた!
─────
そうだ、京都に行こう。
自らのブレイクスルーを求め、京都でカウンセラーをしている
生意気な教え子の元に行くことになった僕。
その後、仕事に追われて、あっという間に9月27日に。
僕は新幹線に乗り、11時38分、京都駅に降り立った。
出迎えてくれた教え子に連れられ、先斗町にある料理屋へ。
川辺に面した、涼しげな風が通る川床で、しばらくは
世間話をしつつ料理を堪能。
近状を聞くと、仕事は順調に進んでいるようで、この10月からは
テレビにもレギュラーで出ることも決まったのだとか。
何ともうらやましい話だ。
嫉妬心を抑えつつ、にこやかな顔で、
「そっかー、嬉しいなぁ、僕の教え子がそんなに立派になって」
と、自分が師であり、お前は教え子なんだぞ、という
立ち位置の上下関係をすり込むように話をする。
しかし彼は、
「いやあ、ほんまに執着捨てると、仕事って広がるもんやねぇ」
と、こちらの発言の意図も、全く意に介さず、
別段気負うでもなく、のほほんとした顔で、
さらりと語った。
なんと腹立たしく、そしてうらやましいのだろう。
こちとら、まなじり決して懸命に頑張って、それでも
納得いかない日々を過ごして悩んでいるっていうのに。
しかし、ここでキレて、殴りかかってしまっては、
京都に来た意味が無い。
殴るのは最後だ。
全て決着が付いた最後まで我慢するんだ。
落ち着け、落ち着くんだ水野。
僕は自分にそう言い聞かせながら、心中を悟られないよう、
表情と言葉遣いに気をつけつつ、きっと美味しかったで
あろう京料理を、料理に集中出来ないまま食べていった。
そして、メインの料理が終わり、デザートのゆべしとお茶を
飲み始めたあたりから、僕たちの会話は、世間話から、
いよいよ本題に入っていった。
僕は彼に、ここ最近の頭打ち感を語った。
 自分が発するメッセージは、決して間違っているわけではなく、
 この考え方で仕事に取り組めば、きっと今まで以上にやり甲斐の
 ある仕事が出来るであろう。
 セミナーや研修も、今まで以上に成果が出てくる様に
 なっていることは、評価から見ても間違いない。
 それに、自分自身の、どん底からはい上がってきた経験の中から
 つかみ取ってきたこのメッセージは、自分なりに絶対の自信が
 あることも間違いがない。
 しかし、その気持ちが強すぎるせいか、最近自分は無理している
 ような感じがする。
 もっと楽に行きたいけれど、そうすると、今までこのような
 メッセージを発信して来た手前、自分の過去の言動に責任が
 取れないのではないか。
 しかも、この考えを捨てると言うことは、今までの成長を
 否定し、人間関係が壊れ、借金まみれになっていた以前の
 自分に戻ってしまうことにもなりかねないのではないか。
 それもまた困るし、そうなりたくない。
 ということで、どうしたら良いか悩んでいるのだ。
僕は、悩みを語りつつも、うわべは平静を装いつつ、
「まあ自分の事はこれだけ解っているんだけどね。
 あとはほんのちょっとした考え方を変えるきっかけを
 与えてくれれば、自分でなんとか出来るからね。
 だって、僕は君の師匠なんだからね。
 君より優秀なんだからね」
というオーラを出そう出そうと頑張りながら、出来るだけ、
ライトに、軽やかに、自分の気持を語った。
彼は僕の話を、時に頷き、時に相づちを打ちながら、熱心に
聴き、そして、一通り聞き終わったあと、こういった。
「なるほどねぇ。
 ところで水野さん、
 『どうせ僕は、卑怯もんだし』
 って、言ってみてくれる?」
きた。
きたきた。
彼のカウンセリングの特徴である
「○○って言ってみてくれる?」
というやつだ。
このときのリクエストは、ただ指示されたセリフを
口にしていうだけ。
そのように生きろとか、そのように価値観を変えろと
いうわけではない。
ただただ、その言葉を口にすれば良いだけなのだ。
しかし、何らかのメンタルにブロックがかかっていると、
ただ言うだけで良い、その言葉が、さらりと言えないのだ。
こうやって、心のブロックを探り当て、そこを解放する
というのが、彼のセッションの1つのアプローチなのである。
きたな。よし。言ってやろーじゃねぇか。
「……どうせ僕は……ひ、ひ……卑怯……もんだし……」
ぐへぇ! い、言えない! 
他愛の無いセリフなのに、のど元でつかえてしまう。
ものすごく、心が痛む。ずきずき痛む。
彼は、自分のこのセッションを「足つぼマッサージ」に
例える。
施術者は同じ力であちこちのツボを押すだけ。
だけど、患者は、場所によっては痛みで苦しむ。
すると、そこが患部だと解るので、それに対しての
対処をするのだ、と。それを言葉でやるのが、
自分のやり方だ、と。
それで行くと、僕はいきなり彼にツボを突かれたようである。
しかし、その痛みは尋常では無い、
ツボを押された、というより、まるで北斗の拳のケンシロウに、
秘孔を突かれて爆死してしまうかのような痛みが襲ってくるのだ。
「これも言ってみてくれる?
 『どうせ僕は、人をすぐに裏切る人間だし』
 『どうせ僕は、すぐに逃げる人間だし』
間髪入れず、容赦なく、彼は僕の秘孔を突いてくる。
 「たわらば!!」
 「ひでぶ!!」
突かれるたびに、ケンシロウにやられる悪党が発する、
最後の断末魔の叫び声を心の中で上げながら、僕は
もがき苦しんだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
僕は手を挙げて、彼の矢継ぎ早の質問を制し、
ゆべしを1つ口に含んで、お茶をすすった。
「な、なんか、素直に言えないぞ……」
「だったら、そこに自分を縛り付けている原因があるかもしれないね」
彼は、ニヤニヤ笑ってそう言った。
僕にはその意味が、なんとなく解ったような気がした。
いや、今までも、頭では解っていたのだけれど、この痛みと
苦しみを通じて、想像以上に自分が縛られていることを、
感覚的に感じたのだ。
これは初めての感覚だ。
なるほど。確かに僕はがんじがらめだ。
「じゃあさ、ちょっと違った角度からも言ってみるよ」
彼はニコニコしながら続けようとしてきた。
僕は、身構えた。
そして、その攻撃の前に、もうひとつゆべしを食べておこうと、
フォークにゆべしを刺し、口に運びかけた。
「『どうせ僕は、優秀な人間だし』って言ってみて」
へ?
ゆべしを口に運ぶ手が止まった。
確かに、これは違った角度からの攻撃だ。
でも、ちょっと照れくさいけれど、これくらいなら言えるだろう。
僕は、いわれたとおりの言葉を口にしようとした。
……が……
……しかし、言えない。
心がなぜか激しく抵抗する。
驚いたことに、今まで以上の抵抗だ。
実は、この言葉は、普段結構使っている言葉なのだ。
ただそれは、友人たちとのふざけた会話の中で、
「自分の能力を勘違いしている男」というキャラを
作った上で言っている。
だから、そのあとで、友人たちのツッコミが入る
というお約束があることが前提で言っていることなのだ。
または、たまに落ち込んだりしているときに、周りの
友人から、「水野は優秀だよ」と励まされて、それを
救いのように受け入れるとき、
「そうだよな、僕は優秀だよな」
と、自分を励ますように言い聞かせるときなども、
この言葉を自分で口にしていることもある。
しかし、今回のように、素の自分の状態で、この言葉を口に
しようとするのは、多分生まれて初めてだろう。
だが、その「素の自分」であるという、今のこの状態で、
彼から与えられた言葉を、僕は口に出来なかった。
なぜ言えない? 僕は、なぜこの言葉を口に出来ないんだ?
ニコニコしながら、彼は僕を見つめている。
口元で止まったゆべし越しに、笑顔の彼を見ていると、また
気持ちがざわついてきた。
僕は師匠で彼は弟子なのに。
師匠の方が優秀なはずなのに。
今や彼にイニシアチブを握られてしまい、自分は、
こんなに冷や汗をかき、苦しんでいる。
師匠である僕の方が優秀なはずなのに……
いや? ちょっと待て。
今、自分は、弟子である彼より、師匠である自分が
優秀だと、心の中であれだけ言っておきながら、
なんで、「どうせ僕は、優秀だし」と言えないのだ?
心の中で、これだけ、こう思っているのに。
相手も「そう言ってみろ」といっているのに。
なのに、言えない。言おうとしても、言えない……
僕の心の中で、何かが大きくふくれあがってきた。
それはどんどん大きくなり、僕の心を締め付けた。
ゆべし越しの彼は、さらに静かにこう言った。
「もう一度言うよ。
『ど う せ 僕 は 、 優 秀 な 人 間 だ し』
って、言ってみて」
その言葉をたたみかけられたとき、僕の心の中で
ふくれあがった何かが爆発した。
僕は思わず断末魔の悲鳴を上げた。
「あ……あべしぃ!!」
口元に運びかけていたゆべしが、テーブルに落ちた。
落ちたゆべしを拾うことも出来ず、僕は、心の中で
起きた爆発の衝撃で呆然としていた。
ようやく、わかった。
何がわかったか、言葉には出来ない。
いや、頭では、今でも本当に何が解ったのかを
理解していないだろう。
しかし、自分の中では、何とも言えず、
「わかった」感で満たされたのだ。
「そうだ! そういうことだったんだ!」感で
満たされたのだ。
何についても、言語化しなければ落ち着かない自分が、
こういった「わかった感」を感じるのは珍しいので、
自分でも驚いた。
しかし、最後の言葉を発しようとして、それでも言えなかった
ときに、僕の中の何かがはじけ、そして、「わかった!」と
感じたのは事実なのだ。
そのあと、彼は僕に話しかけてきたが、この大きな衝撃で
茫然自失としていたので、その時の言葉は、正直記憶に
まったく無い。
ただ、きっと彼はその時、僕にではなく、僕の中で
はじけ飛んだ何かに対して、こう言っていたのだと思う。
「お前は、もう、死んでいる」
と。
■□ 2012年10月10日発行 □■
 
━━━━━
  ● 独白・他人なんかどうなってもいい!
─────
僕は、自らのブレイクスルーを求め、京都で元・教え子の
カウンセラーに、カウンセリングを受けた。
その中で、卑怯、裏切る、逃げる、という単語に過剰な
反応を見せ、さらには、「自分は優秀な人間である」と
口にする事が出来ないことを体感する。
その時、自分の中で、何かがはじけ、大きな衝撃を受けると
同時に、言葉に出来ない、何かの答えが分かったのだ。
というのが、前回までのお話。
さて、その衝撃を受けて茫然自失としている僕に対し、
元・教え子は、こう言った。
「なんか感じたみたいだね。
 じゃあ、せっかくだから、こんな宿題やってみてよ。
 これからしばらく、
 『他人の事なんてどうでもいい』
 と思って、行動してみて」
テンプルにパンチを食らって意識が飛んでいる状態で、
みぞおちに重いパンチを食らったような衝撃を受ける。
なんだって? 他人のことなどどうでもいいと思えって?!
「そうそう、受講者のことも、クライアントのことも、
 メルマガや本の読者のことも、みんな含めて、
 『他 人 の 事 な ん て ど う で も い い』
 と思って、しばらく行動してみてよ」
……そんなこと、絶対にできない!!
顕在意識は、激しい抵抗を示す。
 そんなことしたら、裏切られたと言われる!
 そんなことしたら、逃げるのかと責められる!
 そんなことしたら、卑怯者と言われる!
瞬間、僕の頭の中に、こんな言葉が渦巻いた。
そして、そのあと出てきた言葉は、
 人に尽くし、貢献するつもりで行動しないと、
 自分みたいな人間は、迷惑で不要な存在に
 なっちゃうよ!
というものであった。
元々の人間性の低さゆえに、人生に躓きっぱなしで、
38歳の時に、借金を抱えてどん底状態になった僕。
そんな僕が、一生懸命まともな人間になろうとして、
ここまではい上がって来ることが出来たのも、常に、
「人にどう尽くし、どう貢献するか」
という事を考え続けて来たからなのだ。
そんな自分が、真逆の思考で行動してしまったら、
元の自分に戻ってしまう。
だからこそ、激しい抵抗を、顕在意識では起こしてくるのだ。
だがしかし。
今の僕は、その考えと裏腹に、こんな気持ちも芽生えてきていた。
やってみよう。
さっきの衝撃で得た、はっきり解らない答えを、自分のものと
するためには、どうやらこの極端な意識と行動が必要なようだ。
ならばやってみよう。
これで、受講者や読者から信頼を失って、10年前の自分に
戻ってしまったとしても、以前と同じように、またいちから
やり直せばいいだけのこと。
 
今感じている、10年前のどん底以上の苦しみから抜け出せるので
あれば、例えやった結果10年前に戻ってもいいじゃないか。
よし、腹を決めた。
僕はもう、他人のことなんかどうでもいい。
そう決心し、私は教え子の元を去り、翌日の研修のため、
広島に向かった。
翌日。
私は緊張していた。
腹を決めた、というものの、やはり、今までやったことの
ない、むしろ、やるべきではない、と思っていたようなことに
取り組まなければいけないのだから、緊張するのも無理は無い。
表情が硬いまま、パートナー営業とも、先方の研修担当者とも
あまり会話を交わさず、研修会場に入った。
研修が始まるまでの間、私は心を整えていった。
いつもは、
「今日も精一杯、受講者と向かい合い、成長に関わり続けるぞ」
と言い聞かせる。
しかし、今回は違う。
「受講者の事なんかどうでもいい」
こう言い聞かせなければならないのだ。
一回一回、心でつぶやくたびに、冷や汗が出る。
本当に大丈夫なのか。
こんな考えじゃ駄目なんじゃないか。
しかし、腹は決めたのだ。
例え10年前の自分に戻ってしまうことになったとしても、
このチャレンジに取り組むのだ。
しかし、腹は決まったと言っても、やはりなんだか落ち着かない。
そこで私は、こう考えることにした。
   受講生のことなど、どうでもいいのだ。
   僕はただ、僕がやりたいこと、やれることを、
   やれるだけやり切るだけだ。
と。
そう決めたとき、ようやく心が落ち着き、腹が据わってきた。
そして、そのままのマインドセットで、研修に突入した。
その成果はいかがであったか。
それは、今後の受講生の活躍にかかっているのだが、
結論としては、僕自身、今まで経験したことが無いくらい、
大いに盛り上がり、笑いが起きた研修となった。
カリキュラムそのものは、まじめできちんとしたものであり、
おそらくそれほど楽しいものでは無いだろう。
全く同じテキストで、東京で開催したときには、こんなに
盛り上がることは無かった。
しかし、広島の研修では、終始楽しく行うこととなったのだ。
もちろん、受講生の姿勢が良かった、という事もあるだろう。
参加して下さった皆さんの上司は、以前の私の研修を
受けて下さっていて、「あの人の研修なら、きっとためになるよ」
といって送り出してくれたそうだし。
そういう意味では、前向きな受講姿勢を、あらかじめ
作ってくれていたからこそ、ということもあるだろう。
しかし、そういったことを織り込んだとしても、
今回の研修で起きた出来事は、自分が今回考え方を
変えて取り組んだことによる影響が、少なくないと
思うのだ。
それを一番端的に言い表してくれたのは、研修担当者の
方であった。その方曰く、
「今日の水野さんは、朝はものすごく不機嫌そうだったのに、
 研修中は、今まで見た中で、一番楽しそうに講義してたね」
とのこと。
ここ3年ほど、新人研修から管理職研修まで、その方は、
僕の研修を何本も見てきている。
その中でも、今回の研修が、一番楽しそうだったと
評したのだ。
そして、それは僕自身も同じだった。
今まで、たくさんセミナーや研修を行ってきたけれど、
こんなに楽しいという気持ちで行えたことは、かつて
一度もなかった。
そして、いつも感じていた、イヤな疲れなども、
全く感じなかったのである。
それは、受講者がたくさんリアクションしてくれたから、
という事よりも、自分がやりたいこと、出来る事に
フォーカスしてやり切れたから、という満足感の方が
高かったようである。
逆に、受講者に対しては、
「僕が勝手にやりたいことを好き勝手にやっているだけなのに、
 みんな良く笑い、学び、成長してくれるなあ」
と、驚くと共に感心していたくらいなのだ。
それくらい、笑い、楽しみながらも、受講者である彼らは、
いつもの研修と同じように、受講前と受講後とで、大きく
変化・成長を遂げていったのである。
なんだ。
なんだ、そうなんだ。
まなじり決して、受講生のためを想って、死にものぐるいで
向かい合って取り組んでも。
受講者なんかどうなってもいいから、自分がやりたいこと、
やれることを、やれるだけやり切ろうと。
出てくる結果は同じじゃないか。
その理由は分からないが、とにもかくにも、最悪の事態には
ならずに済んだことに、僕は安堵のため息をつき、そして、
広島を後にした。
そして、週が明けて、また新たなるチャレンジ。
今度は、メルマガで、同じ事に取り組んでみる。
【読者のことなんか、どうだっていい】
そう思って、今まで自分がやったことがなかった、
自分の中で御法度とされている、数々のことを
このメルマガの中でやってみよう。
まずは、この、【読者のことなんか、どうだっていい】
という事を、メルマガの中で明記しよう。
こんな事、本来ならば言うべきでは無いのだけれども、
自分自身の迷走と、一応たどり着いたあり方を語るためにも
あえてこれは、メルマガで名言しておこう。
またそれと併せて、
「読者を気にせず、自分が書きたいように書く」
という事も、あえて明言しよう。
そこまで開き直っちまったら、もういいや。
書く内容も、今まで書いてきたきれい事に縛られず、
その時思ったこと、感じたことを、極端なくらい、
あけすけに書いてやろう。
まじめになんか書かず、うんとふざけて書いてやろう。
2008年から4年半、システムのトラブルやミスを除けば、
無断で発行を休むことなど一度も無かったけど、勝手に
1回休んでやろう。
冷静に考えてみれば、本当にやっていいこともあれば、
やってはいけないこともあるだろう。
しかし、今の自分にとって重要な事は、自分を縛る鎖を解き、
そして、殻を破ることなのだ。
だからこそ、今までメルマガで書いてきたことを、全て
ひっくり返し、読者から
「裏切り者! 卑怯者! 逃げる気か!」
と、罵声を浴びせられるかもしれないことを、今回のメルマガで
あえてやってやろうと決めたのだった。
その上で、読者のことなど一切気にせず、僕が書きたいことを、
僕が書きたいように、書き切ってやろう。
そう思って、10月2日からのメルマガを、書き始めたのだ。
実際やってみると、書いている時はとっても楽しい。
しかし、メルマガの送信ボタンを押すときは、
死ぬほど苦しいのだ。
こんな事書いたメルマガを送っていいのだろうか。
嫌われたらどうしよう。
憎まれたらどうしよう。
見知らぬ人ならまだしも、面識のある人たちや、
面識が無くても、メルマガを通じて気に入ってくれた
人たちの気持ちを裏切ってしまったらどうしよう。
腹はくくったとしても、どうしても、この恐怖の気持ちは
襲いかかってくるのである。
しかし、私は、決めたのだ。
ここ数年来、自分をがんじがらめに縛り付けてきた鎖を
解き放っていくのだ。
送信ボタンを押す時の苦しみは、長年の間、締め付け続けられ、
皮や肉と同化し始めている鎖を引きはがすときの痛みなのだ。
そう思って、勇気を振り絞って、送信ボタンを押せ。
毎回毎回、そうやって、1人楽しみ、盛り上がりながら、
文章を書き、そして、1人震え、おののきながら、ポチッと
送信ボタンを押す。
そんな日々を、ここ一週間続けているのである。
今回だって、例によって好き勝手かいているし、書いちゃ
いけないようなことも書いてしまっている。
だから、送信ボタンを押すのが怖いのだ。
それでも、縛りを解き、殻を破るためにも、このボタンを押すのだ!
そ~ら、ポチッとな!
 
 
■□ 2012年10月11日発行 □■
━━━━━
  ● 独白・チャレンジから2週間のうちに起きた出来事
─────
自分の行き詰まり感でどうにもならなくなり、元・教え子の
カウンセリングを受けた僕。
そこで言われたことは、「他人のことなんかどうでもいいと思え」
という、今までの生き方を180度否定するものだった。
しかし、自分の閉塞感が打ち砕けるのであれば、と思い、
恐れおののきながらも、それに取り組み始めた、というのが、
前回までのお話。
京都でカウンセリングを受けたのが、9月27日。
今日は、10月11日。あれからちょうど2週間が経った。
その間、研修が2本、講演が1本、自社開催のセミナーが
1本あった。
その全てにおいて、
「他人のことなんてどうでもいい」
という気持で取り組んだ。
メルマガもしかり。
読者のことなんかどうでもいい、と思って書き続けた。
はたして、その結果はどうだったか。
研修やセミナーに関しては、普段と全く変わらず、
それなりに良い評価を頂く事が出来た。
セミナーも、独白シリーズを読んでいる読者がほとんど
という中で行った。
その時の内容が、ナーバスな感じのメルマガだったので、
受講者も心配しているんじゃ無いかと思ったけれど、
皆さん、そんなこともあまり気にせず、楽しく受講して
下さったようだ。
メルマガの方も、想像していたほど大きな変化はなかった。
さすがに、「読者のために書きません」と宣言した回は、
10名ほどの解除者が出たけれども、普段読んで下さっている
読者の数から見れば、想像より遙かに少ない数だった。
また、友人やセミナーの受講者など、面識ある人たちからは、
ほとんど解除もなく、むしろ、
「面白い!」
「もっとやれ!」
というコメントをもらった。
また、以前からの読者の方たちも、
「ちょっとドキドキしていますが、どうなるか楽しみに
 読んでいます」
というメッセージをもらった。
お一人だけ、
「あの書き方はやってはいけないのではないでしょうか」
と意見して下さった方もいらっしゃったが、僕としても、
全くその通りだと思いながらやっていたので、むしろ
このメルマガの読者に、こんな立派な人が居てくれた
という事に、ありがたさも感じていた。
ただ、研修をさせて頂いている企業のうち、一部の担当者の方は、
書き始めのあたりは結構心配されたという話を聞き、それは
大変申し訳なかったと、思っています。
本当にすいませんでした。もう大丈夫ですから。
結局、死ぬほど怖い思いをしながら、自分の中にある
タブーを侵した結果は、10年前の自分以下の状況になると
想像していたわりに、ここ2週間の状況を見る限り、とりあえず、
そこまで壊滅的状況にはならないであろう、ということで、
ホッと胸をなで下ろしているところであります。
 
 
━━━━━
  ● 自分の身に起きた変化を振り返る
─────
という事で、そろそろいつものテイストのメルマガに戻しつつ、
ここでは、今回の混沌を改めて見つめ直し、以前の自分がどう
だったのかを振り返りつつ、何が自分を苦しめ、今回の
チャレンジで何が起き、そして、今の自分の、何が、どう
変わったのかを考えてみたいと思います。
10年前の自分は、何度も書いた通り、どん底状態。
自分を成功させたくて、その時の自分なりに、
一生懸命いろんな事に取り組んだけれど、
結局、何をやっても上手くいかなかった。
で、結局、八方ふさがりになって身動き取れなくなったとき、
今までの自分の考え方や生き方を変えない限り、このどん底
からは抜け出せないと悟りました。
ですので、自分が間違っていること、自分が思ったほど
優秀では無い、という事を謙虚に認め、無能で無力だから、
人のため、人を喜ばすために、地道に成長しようと決めたのです。
そうすることによって、人に認められる人間になって
いこうと決めたのです。
そこからの自分自身の成長は、確かに今までとは比べて
驚くほどでした。
しかし、ベースの考えが、
 ・自分は無能で無力である
 ・でも自分は人に認められたい
というところにあったため、自己肯定感が低いくせに
自己顕示欲が強いという、かなり面倒な考えになって
しまいました。
だから、「認められるためにもっともっと頑張らなければ」
と思いながら成長し、人から認められるようになってくると、
「認められている、という状態を手放したくない!」と
強く思い、さらに認められることに固執していきました。
その結果、自分で自分を認められないため、他者の評価でしか
自分の価値を見いだすことしか出来ないような考えになって
しまったのです。
さらに、ある程度の成長をした後は、
 ・立派な人間になりたい
 ・出来た人間になりたい
という気持も湧いてきました。
すると、自分の中にある自己顕示欲が、どうにも醜く
感じてきてしまい、それを否定し、押し殺そうと、
顕在意識での考えを使って、その醜さをねじ伏せる
事も始めました。
今まで一連のメルマガの中で、元教え子に対しての、
嫉妬や、敬意を示させたがる様を書いてきました。
実際のところ、顕在意識では、ここで書いたほどの
醜い嫉妬や敬意を示させたがる気持ちはありませんでした。
なぜなら、その気持ちが湧いた瞬間に、
「ああ、この考えは駄目だ、消せ消せ!」
という意識の指示が飛び、その醜さから目を背け、
行動や言動をコントロールしようとしていましたから。
しかし、そういった、うわべを取り繕った意識の皮を
剥いてしまえば、多分あれくらい滑稽で、かつ醜い
気持ちが、自分の中でくすぶっていたんだろうと思います。
しかし、こういった感情が湧いてきてしまうのも、
やはり、自分に対して無力であると感じ、だけど
自己顕示欲が強いがゆえに、起きてしまったのだろうと
思うんですよね。
という事で、かなりねじれた状態のまま、10年間頑張ってきて
しまったわけですから、このねじれ状態が体に染みついて
しまい、がんじがらめになってしまったわけです。
さて、こんな状態にまでなってしまった自分を、どうやって
解放したらいいか。
これが全く解らない。
もっと自由に生きた方がいい、というアドバイスももらいました。
しかし、どうやったら、自由になれるのかが解らない。
もっと自分を認めてあげた方がいい、とも言われました。
しかし、いくら認めようとしても、認めることが出来ない。
問題が分かっていて、その問題を解消させようという
思考に向かおうと思っていても、がちがちに縛られている
状態では、どうにもならなかったんですよね。
しかし、京都でカウンセリングを受けたとき、
「他人のことなんてどうでもいい」
と思え、という指示を受けたことで、自分の考え方は
大きく変わっていったのでした。
なぜそれほど大きく変わっていったのか。
そして、一見ひどい対応であるかのように思えるこの考え方が、
結果として自分自身に好影響を与えたのか。
これについては、また長くなりますので、明日のメルマガで
ひも解いていくことにしましょう。
きっと、まじめさゆえに自分自身を苦しめている人には、
とっても参考になる話になると思いますよ。
なんてこと書くと、
「あれ? 読者のことなんかどうでもいいんじゃないの?」
と思われる方もいるでしょうね。
確かにその通りなんですが、いくらそう思っていても、
結局、必要な人には役に立つことを書いてしまうんですよ。
私という人間は。
だって。
どうせ私は、優秀なのだから。
……うん、少しは自然に言えるようになったぞ、と。
 
 
■□ 2012年10月12日発行 □■
━━━━━
  ● 独白・他人のことなんてどうでもいい、が生み出した効能
─────
自分の行き詰まり感を打破すべく、カウンセリングを受けた私は、
「他人のことなんてどうでもいい」
という思いで仕事に取り組んでみろ、という宿題を頂き、
その宿題を実践していくことで、自分の中で渦巻いていた
考えや感情が明確になった、というのが、前回までのお話
でした。
今回は、この宿題を通じて見えてきたことと、今後の
考え方や取り組みについて考えてみたいと思います。
まず、私がこの宿題をするに当たって恐れていたことを
お話ししておきましょう。
それは、
 ■ そんな思いで取り組むと、他人をないがしろにしてしまわないか
ということでした。
しかし、結果的にはそれは杞憂でした。
その理由は、
 ★ 自分のビジョンがあったから
です。
このメルマガでも何度か書いていますが、私のビジョンは、
【子供たちが憧れる様な、活き活きと働く大人でこの世を満たす】
というものです。
このビジョンは、人から与えられたものではなく、
人から認められたくて作ったものでもなく、
自分が本当に実現していきたいと思っているもの。
だから、このビジョンが自分の中にある限り、例え、
「他人のことなんてどうでもいい」と思っても、
そのビジョンから外れた行為は出来ないんですよね。
どうしたって、このビジョンが実現する方向での、
考えや行動になってしまうんです。
そういう意味で、自分が間違った方向に行ってしまうかも、
という恐れは、解消したのでありました。
逆に、この「他人のことなんかどうでもいい」という
考え方をすることで、手に入れられたものがふたつ
ありました。
今日は、そのうちの、かなり意味深い1つをお話
したいと思います。
それは、
 ★ 人と、適切な距離を保てるようになった
という事です。
今までは、役に立つ、という事を強く意識しすぎたあまり、
必要以上に相手に近づきすぎてしまった、という事が
頻繁にありました。
さらに、成果を追求するがあまり、相手に求めることも
人によっては、かなりしんどいものになってしまい、結果
不快にさせたり苦しめてしまうことが多々あったんですよね。
また、やる気のない担当者、本気で無い担当者、考えが合わない
担当者と仕事をするのも、ものすごくイヤで、徹底的に距離を
置いていましたが、それについても、あまり気にならなくなりました。
受講者にやる気のない人は居てもいいけど、担当は本気であれ!!
なんて思って、それを押しつけようとしていましたから、例えば
講演などの依頼で、
「まあ、パーティーの集まりでやるもんですから、適当に楽しげな
 感じで、ひとつよろしくお願いします」
なんてこと言われると、
「そんな仕事、俺がやる必要など無い!」
と息巻いてしまい、その担当の姿勢を厳しく問う、なんてことも
やってしまっていましたからね。
でも、これからは、そういう担当者に出会っても、取り立てて
感情を乱すこと無く、お付き合いも出来ますし、仕事も、面白そうなら
気軽に受けられるようにもなってきたと思います。
今まで仕事が広がらなかったのも、このあたりをかなりギチギチに
考えていたためでしょう。
その結果、私がお話しさせて頂く事で、元気になったり、やる気に
なったりしたであろう人たちと出会う機会を潰してしまっていたのは、
今思えば、とても残念です。
だから、これからは、やれ成果とか、本気で無ければ、とか、
あまりうるさく言わずに、楽しく仕事に取り組んで行きたいと
思えるようになったんですよね。
これも、自己肯定感が高まったからこそのことと思います。
 
 
━━━━━
  ● これからは、自分は灯台であろう
─────
それ以上に、今回の件で自分が思いしったのは、
 ■ 講師やコンサルタントとしての自分のあり方
でした。
私自身の仕事のテーマは、一貫して「行動変容」でした。
受講者を、クライアントを、どうやって、本人たちが望む通りの
人間へと変えていくか。
それを追求し続けていたんですよね。
ですから、受講者が目の前で変わらないと、気持ちがそわそわして、
落ち着かなくなるんです。
しかし、本人が決断するまで変わらないのだから、いくらこちらが
焦っても、意味が無いということも知っていました。
だから、グッとこらえて我慢をしながら、受講者に関わって
いたんです。
しかし、「他人のことなんかどうでもいい」と思うと、目の前の
受講者がどんな状態であっても、あまり動じなくなるんですよね。
でも、もちろんその人を気持ちの中で切り捨ててしまった
わけではありません。
そうではなく、
「私は君がどうなってもいいと思っているけど、きっと君は変われるよ」
というように、気持ちが変わってきたんです。
そういう気持ちになった上で振り返って見ると、自分はいかに
受講生に近づきすぎていたか、という事に気付かされたんです。
例えて言うなら、波の高い海に浮かぶ船が受講者であれば、
私はその船に乗り込み、なんとか無事に港に付けてやろうと
思っていた、という感じ。
でも、ヘタに手を出すと自立性が失われるから、揺れる甲板の上で、
自分だけはぶれずにいようと踏ん張りながら、気を揉み続ける、
という状態だったんです。
しかし、講師をメンターとして位置づけ、受講生を自立させながら
育てようとするのであれば、講師は受講者の船に乗ってはいけない
んですよね。
そうではなく、無事に港に付けるように、港から向かう場所を
示し続ける、灯台のような存在になるべきなのでしょう。
どんなに波が高く、船が揺れていたとしても、その甲板で
踏ん張って動じない、というのでは無く、その船がたどり着く
場所を示しながら、
「君がたどり着くところはここだよ。
 きっとたどり着くと信じて待っているよ」
という気持で、その船に対して、到達点を自らの存在で
示し続けていくことが、自分の仕事ではないか。
「他人なんてどうでもいい」という、一見乱暴な言葉を受け入れ
行動することで、こんな答えにたどり着くことが出来たのでした。
今、私の気持ちはかなり晴れ晴れしています。
もちろん、立派な灯台になるには、これからも自分を成長させて
行く必要があります。
しかし、きっともう自分は、目の前の受講生に対して、
行動や発言にいちいち過敏になったり、彼らの成長ぶりを
我慢しながら見守る、というようなことは無いでしょう。
揺れる甲板の上で踏ん張るのでは無く、大地の上にどっしりと立ち。
自分の出来る事、自分の能力、自分の力を信じて。
そして、それ以上に、受講者の成長を信じて、
  君たちの「今」がどうだろうと、どうでもいいんだよ。
  だって、私は君たちが成長し、望み通りの人生を
  歩むに決まっているんだからね。
という心がまえで、これからは人前に立っていこうと、
こう思っているのであります。
 
 
■□ 2012年10月13日発行 □■
━━━━━
  ● 独白・他人のことなんてどうでもいい、が生み出した効能その2
─────
自分の行き詰まり感を打破すべく、カウンセリングを受けた私は、
「他人のことなんてどうでもいい」
という思いで仕事に取り組んでみろ、という宿題を頂き、
その宿題を実践していくことで、自分の講師やコンサルタントと
してのあり方が大きく変わった、というのが前回のお話。
今回は、この宿題を通じて手に入れた、もうひとつの効能について
お話するとともに、今後の活動についても今思うところを
お伝えしたいと思います。
以前のメルマガでも書いたとおり、以前の私は、自己肯定感が
低く、それでいて人から認められることを強く求めているような
矛盾した意識を抱いていました。
その意識のまま、ちょっとした成功体験をしてしまったため、
その成功法則に縛られてしまったのです。
しかし、今回、「他人のことなんてどうでもいい」という
意識で行動することで、自分がどんなことに縛られていたのか、
そして、いかにたくさんのタブーを作ってしまっていたのかを
まざまざと見せつけられたのでした。
いくつかあるタブーのうち、一番大きなものは、
 ■ 成果が出にくい仕事に対して及び腰になっていた
という事があります。
これは、無駄な仕事に振り回されず、凝縮した仕事を
していく、ということであれば、間違っていない
考え方でしょう。
しかし、私の場合は、自己肯定感が低かったがゆえに、
あれこれ理由を付けて、成果が出せそうに無い仕事から、
逃げたり、避けたりしていた、という事が、今回の件で
解ったんですよね。
だから、そのタブーを無くし、できることにどんどんチャレンジ
していこうと決めたんですよね。
では、何をやっていくのか。
1つは、教材製作と提供です。
私は現在教材を販売していますが、実は心の奥底で、
 ■ 出来ればあまり売りたくない
という気持を持って売っていたんです。
なぜかというと、自分が人の役にきちんと立っている
という実感が、あまりられないからです。
 本当に、自分のメッセージが伝わるのだろうか。
 伝えた人が変わってくれるのだろうか。
リアルにあって話を聞いたり、インタラクティブに
対話が出来れば、まだ何とかしようがある。
だけど、教材は、相手と直接向かい合えないため、
相手がどう受け止め、どう行動するのかが解らない
訳です。
それが、自分としてはいたたまれない気持ちでいながら、
それでも、教材を求める人もいるし、ビジネスとしても
やるべきである、という考えもあったため、無意識下に
あった、「教材を売りたくない」という気持ちを押し殺し
ながら、売っていたんですね。
しかし、自己肯定感が高まった今の自分から見ると、
このつじつまの合わない気持ちは、まさに自己肯定感が
低いがために生まれてしまった、という事がよく分かります。
でも、そんなつじつまの合わない気持ちで売っていたら、
まともに売上を上げることなど出来ません。
それに、一番問題なのは、そんな及び腰の気持ちで
売っていたら、
 ★ かってくれたお客様に失礼極まりない
という事に、遅まきながら気付いたのです。
無理矢理買いたくない人に押し売りしているわけでは無く、
買いたい! と手を挙げているお客様にお売りしているのに、
そんな及び腰でどうするんだ。
もっと胸を張って
「いい買い物しましたね!
 この教材は、とっても良いものだから、
 是非末永く役立てて下さいね!」
ぐらいの気持ちでご提供させて頂かないと、買って下さった
お客様に失礼だろう。
そう、無理なく自然に考えられるようになったんです。
ということで、今まで、ビデオや照明、音声機材など、
教材製作の環境を整えながらも、腰が引けて、全然
リリース出来なかった状況を脱して、これからどんどん
いろんな教材を作って提供していきたいと思います。
 
 
━━━━━
  ● これからは、他人の評価を気にせずにどんどん表に出て行こう!
─────
もうひとつ、積極的に取り組まなかった仕事に、講演業が
ありました。
やらないことはなかったんですが、積極的にやろうとは
していなかったんですよね。
その理由は、短時間では人間関係も作れないし、成果も
出せないから、というもの。
だから、講演はあまりやりたくない、と公言していたんですが、
実は、やりたくない本当の理由は、
「見知らぬ人たち大勢から、低い評価を受けたくない!」
という気持が強かった、という事が解ったんですよね。
冷静に考えれば、それなりの経験も積んでいるわけですし、
普通にやりさえすれば、低い評価を大勢から受けること
なんか無いはずんですよ。
でも、自己肯定感が低いため、心の奥底ではそう考えられず、
なんだかんだ理屈を付けてやらないように動いてしまう。
また、講演をやることになったときは、認められたい、
低い評価を受けたくない、という気持が前に出てしまい、
ものすごく無理をしながら、力尽くで受講生を納得
させようとしてしまうわけです。
そうすると、結果的には満足する人も出てくる一方
力技が気に入らない人は、返って鼻についたりして
少ないながらも、不満や批判を受けてしまう。
そんなことを繰り返してしまい、
 「自分は講演には向いていない。
  いや、講師としても向いていないのでは」
などと思い悩んでしまうわけです。
でも、他人のことなどどうでもいい、という気持になると、
聞き手の評価を必要以上に気にすることはありませんから、
伝える事に、のびのびと力を注げばいい、という気持に
なりますので、聞き手に対して不用意なストレスを与える
ことも無いわけです。
だったら、勝手にムキになって、勝手に落ち込み、勝手に
向いてないという、くだらないスパイラルからとっとと
抜け出して、もっと積極的に講演を受け、講演を楽しんで
やろうと思えるようになったのです。
そして、どうせ他人のことなんかどうでもいい、という気持で
やるんだったら、役に立つこととか、ためになることに執着せず、
 ■ 楽しくて面白い講演
というものを作って見ようかな、と思ったんですよね。
どうせ私のことだから、他人などどうでもいい、と言ってても、
結局、役に立ち、ためになるようなものを作ってしまうだろう。
それは、今までの経緯で間違いない。
であれば、それはもうそんなに意識しなくて良いから、
もっと面白くて、もっと楽しいものに、エネルギーを注ごう。
そして、聞いてくれるみんなと一緒に、自分も思いっきり
楽しんでしまおう。
よーし、だったら、前々から、いつかやりたいと思いつつ、
勝手にタブーだと思って封印していた、漫画や映画をネタに
した講演を作ってやろう! と思ったんですよね。
そして、話を考え始めると、あんなこと話そう、こんなこと
話そう、と、面白いネタが一杯出てきたんですよ。
ということで、来月の11月3日、まずは漫画をネタにした
面白楽しい講演を行うことに決め、今はネタと素材集めに
走り回っている最中であります。
と、こんな風に、タブーを捨てて、教材作りや講演ネタを
あれこれ考えながら、ウキウキワクワクしながら、ここ数日を
過ごしています。
と書いて、たった今、非常に驚いたことがあります。
それは、
 ★ 今まで生きてきた中で一番仕事が楽しいと感じている
かもしれない、という事に気付いたからです。
今までも、十分に仕事を楽しんでいたつもりでした。
しかし、それはどちらかというと、社会に貢献する責任を背負った
「やり甲斐」というものであったり、そうやって働いた後の
「充実感」「達成感」というものでした。
しかし、今文章で思わず「ウキウキワクワク」なんていう
言葉を、自分は書いていて、それに驚いてしまいました。
なんと無責任で、しかも働く前から、何もしていないのに
楽しい気分になっているとは。
でも、今の自分は、なんとなく解ります。
たぶん、このスタンスの方が、いい仕事が出来るだろうな、
ということを。
それだけの力が、それだけの価値が自分にあると、自分自身が
信じられるようになったからこそ。
自己肯定感を高め、セルフイメージを高める事が出来たからこそ、
本来自分が持っている能力を解放することが出来るようになり、
それが結果的に、自分にとっても、社会に取っても、良いことに
つながって行くのだ、と、思えるようになったのでしょう。
無意識のうちに、こんな言葉を使うようになった自分の変化に
今なお自分は日々驚いている状態でありますが、きっとこれが
本当に自分が変わった、という証なのでしょう。
これから、新生・水野浩志がどういうことになっていくのか。
私自身も楽しみにしながら、日々ウキウキワクワク
取り組んで行きたいと思っています。
……ということで、10月2日から始まった、私、水野浩志の
悩みの独白は、本日で終了であります。
当初は3日で終わりといっていたにもかかわらず、結局
その3倍の9日間も書き続けてしまい、すいませんでした。
今回は、本当に冒頭で宣言したとおり、読者の皆さんのことは
全く考えず、先の展開もまた、全く考え無いままに、その日に
書きたいことを、書きたいように書かせて頂きました。
お陰様で、私自身も、自分の中でどんなことが起きたのか、
整理を付けることが出来て、ようやくひと区切りが付いた
感じがします。
きっとこのメルマガが役に立つ人はほとんど居ないと思いますが、
他人の悩んでいる姿って、面白いもんですから、きっと楽しんで
頂けた方は多いんじゃないかと思います。
私としては、前にも書いたとおり、この一連のメルマガは、
無責任に楽しんで頂けたら最高に嬉しく思いますです。
ということで、皆さん、本当に支離滅裂なメルマガに
つきあって下さってありがとうございました!
*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=*=
ということで、長い文章に最後までお付き合い下さって
ありがとうございました。
その後も、自分を縛るものから解放された私は、自らに
はった「水野は講師である」というレッテルも剥がし、
個人向けのコーチングサービスなども始め、こちらもまた
非常に楽しく取り組ませて頂いています。
それも皆、心屋仁之助さんのカウンセリングと、
「他人なんかどうでもいい」
という、非常識な言葉で、自分の執着を手放せた結果だと、
深く感謝いたします。
心屋さん、ありがとう!

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