世の中にはたくさんのありがたい言葉が出回っています。
しかし、同じ言葉を受け止めても、人によって、様々な結果の違いが出て来ますよね。
特に、自己啓発的でよく効く言葉などは、まったく同じものでも、人によっては、その言葉によって大成功する人もいれば、その言葉によって、大失敗してしまう人もいます。
同じ言葉を聞いているはずなのに、この両者になぜ大きな違いが起きるのだろうか?
私が思うには、
■ 自分の中にある「言葉の置き所」を間違えていたから
なのではないか、と。
言葉の置き所とは何か。私が考えるに、三つの場所があります。
ひとつ目は、自分自身のあり方の根本的な部分を司るところ。
であり、これを私は「前提条件」と呼んでいます。
ふたつ目は、日常生活において、意識してこのように考えていこう、という所で、ここを「心掛け」と呼んでいます。
そして、みっつ目は、物事を判断する場合に使う所で、ここを「判断基準」と呼んでいます。
そして、人はみな、ありがたい言葉を頂くと、その言葉を、「前提条件」「心掛け」「判断基準」の場所のうちのどこかに、置いているのです。
ありがたい言葉を聞いて成功する人は、ありがたい言葉を受けたときに、このみっつの場所を睨みながら、
「この言葉は、どこの場所に置くべきか?」
と考えて、適切な場所におきます。
逆に、ありがたい言葉を聞いても成功できない人は、このみっつの場所の存在を意識していないので、適当な場所に置いてしまいます。
例えば、昨年の12月27日に発行したメールマガジン、
【ミスが許されない部署のリーダーこそ「何があっても大丈夫」と考える必要がある理由】
で紹介した、「何があっても大丈夫」という言葉は、本当にありがたい言葉だと思います。
しかし、ミスが許されない現場で働いているリーダーが、この言葉を「判断基準」の場所に置いてしまうと、まともな
判断が出来なくなり、とんでもない事になってしまいますよね。
では、この言葉は、どこに置けば良いのか、というと、一番根本となる「前提条件」に置くべき言葉なんですよね。
そうやって、どんなことがあっても、なんとかなるという心根を定めておく。
その上で、ミスが許されない現場ですから、「絶対にミスをしない」という言葉は、心構えにきちんとおく訳です。
そうやって、前提条件と心構えをきちんと整えた上で、例えば、医療の現場で、「患者の命の継続を最優先にする」
という判断基準があったら、それに従って意思決定していく。
これが、ありがたい言葉を,自分の人生に活かす、大切な考え方だと思うんですよね。
また、ありがたい言葉には、矛盾があることも多いです。
「そのままの自分で良いんだよ」
という言葉がある一方で、
「昨日の自分より今日の自分を成長させよ」
なんていう言葉もあります。
これらは、言葉だけ取れば、矛盾しているように見えますが、それは、同じ土俵に並べるから問題になるんです。
これらの言葉は、例えば、
- 前提条件に「そのままの自分で良いんだよ」を置き
- 心構えに「昨日の自分より今日の自分を成長させよ」を置くとすれば、ありのままの自分を受け入れながら、そんな自分の中にある伸びしろを見つけ、そこを伸ばしていこう、という考え方が出来ますよね。
これを、同じ土俵においてしまい、矛盾があるから、といって片方を切り捨ててしまうと、成長の努力を放棄した生き方をしてしまったり、自分を受け入れられないまま、自分に合わない成長の努力をして苦しむことにもなりかねません。
なので、色々とありがたい言葉を学んではいるけれど、今ひとつ上手く行かないな、という実感がある人は、今まで学んだ、そのありがたい言葉のそれぞれを、
- 前提条件
- 心構え
- 判断基準
の、どこにおいているのか、是非確認してみて下さい。
また、矛盾があるとして捨ててしまった個と場立ちも、是非改めて拾い集め、どこにおいたらしっくりくるか、考えてみましょう。
そして、場所の入れ替えを行いながら、自分の人生がどう変わるのかを、確かめてみて下さいね。
今日のまとめ
・ありがたい言葉も、自分の中の置き所によって、
毒にも薬にもなる
・その置き所とは「前提条件」「心構え」「判断基準」である。
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