昨日のメルマガでは、
【ありがたい言葉を受けて、成功する人・ダメになる人の違いは?】
というメルマガを発行しました。
今日は、このメルマガの話の続き、でありますので、まず先に、こちらのメルマガをお読み下さい。
さて、ということで、学んだありがたい言葉をどこにおくのかが、とても重要だ、ということを前回お話しました。
で、お読み下さった方々の中には、頭では解っても、実際にそのありがたい言葉を前提条件や心構えにおこうとしても、なかなか難しい、と感じる人もいらっしゃることと思います。
特に、前提条件を変えようとしても、なかなか置き換えることが出来ない、というケースは、非常に多いんですよね。
その理由は、実にシンプルです。なぜなら、
・前から居座っている前提条件が、体に染みついて離れないから
なんですよね。
前のメルマガにも書いたとおり、前提条件というものは、自分自身のあり方の根本的な部分を司るところです。
なので、長年染みついてきた考え方や価値観が、思考癖や思い込みとなってこびりついているんですよね。
しかも、人間というものは、今まで慣れ親しんできた安住領域から出ることに、恐怖と嫌悪を感じる生き物。
今まで慣れ親しんだ前提条件を変える、などという行為は、まさに、安住領域から出る恐怖と嫌悪の、一番の対象と
なるものなのです。
歳を取るほど、頑固になる、というのも、まさにこういった状態を表していると言ってもいいでしょう。
そんな前提条件を、まるで着せ替えのように、
「これからは、こっちの考え方でいこうっと♪」
なんて気軽に変えられる人は、そうはいないんですよね。
では、どうしたらいいか。
一番効果的かつ具体的な方法があります。
それは、昨日私が話していたことと矛盾するのですが、
■ 本来前提条件におくべきものを、合えて判断基準にしばらく置く
ということなんですよね。
例えば、昨日のお話の例で言えば、「何があっても大丈夫」という言葉は、本来、前提条件においておくべきもの。
しかし、もしあなたが「絶対に失敗は許されない」という言葉を、前提条件に握り絞めたまま、何十年も生きてきたとしたら、おそらく今までのそれを、いきなり手放して、「何があっても大丈夫」という言葉を前提条件におくことなど、出来ないでしょう。
こんな時には、あえて一時的に、この「何があっても大丈夫」という言葉を「判断基準」に置いて生活してみるのです。
そして、日常の判断を、「何があっても大丈夫」と考えて、今までの自分だったら、絶対に選ばなかったような判断をしてみるのです。
これはね、ホントもう、メッチャ怖いんですよ。心臓バクバクしますからね。
でも、その恐怖を乗り越えてやり切ってみると、想定していたような恐怖の出来事は、意外と起きず、ことによっては、むしろ今までより上手く行くことも出て来たりする。
仮に上手く行かなかったとしても、そのあとで、自分の前提条件を覆すような、または見直した方が良いと思えるような出来事や体験を得る事も多々あるんですよね。
そして、そういう体験をしていくと、今まで後生大事に握り絞め続けていた前提条件が、
「あ、これにすがりつく必要は無いんだな」
と、理屈を超えて腹落ちしてくるんですよね。
で、その腹落ち感が持ててから、改めて、そのありがたい言葉を前提条件にきちんと収めていくのです。
ということで、ありがたい言葉が前提条件にうまく収まらない人は、恐ろしいとは思いますが、是非、今回の取り組みに、チャレンジしてみて下さいね。
※注
ちなみに、今回の行為は自己責任でやって下さいね。
別に、私が責任逃れをしたくて言っているのではなく、自分の判断で取った行動は、全て自分が責任を取る、という意識を持ってやることが重要となるからです。
そうでないと、思わしくない結果が出たときに、それを深掘りして意味を見出そうとする前に、すぐに、私のせいにして自分の前提条件を正当化するようになってしまいますからね。
今日のまとめ
・前提条件におくべき言葉も、腹落ちしない場合は、あえて
判断基準においてしばらく生きてみる
・その上で、今まで握り絞めていた前提条件にしがみつく
必要が無いと腹落ちできたら、古い前提条件を手放し、
新たな前提条件を収めていこう
・あくまでも、自己責任の意識を持って実践すること!
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