前者・後者論。私は後者。これは前者に向けて、後者理解のためのメッセージ。でも後者も読んでちょんまげ。
以前、前者後者の話をスイッチに例えて書いた
すると、前者の方たちから、
「わざわざスイッチ入れるの大変そう」
とか、
「スイッチが切れないように見張ってなきゃいけないんだ」
といったことを言われたけれど、後者の私としては、この言葉には、相当違和感を感じる。
というのは、
■ スイッチを入れる、ということは、別に大変な行為ばかりではない
ということ。
例えば私の場合、セミナーや研修で人前に立つときは、別に思いっきり力を込めてスイッチを入れているわけではない。
じつにソフトタッチな感じ。ほとんど力は入れない。
まあ、リアルにいうと、意識を講師のスタンスにセットする、って感じ。
もちろん、切れないように見張る、なんてこともしない。
ていうか、見張る、という概念そのものが、多面視点が持てる前者特有の考え方であり、後者は基本的に、そんな視点はよっぽど意識しない限り持てない。
ただひたすら、講師のスタンスに意識が集中している、という状態。それが、スイッチを入れる、ってこと。
でも、ものすごくスイッチを入れるのに力が必要なケースもある。
この、力がいらないときと必要なときの違いは何かというと、
★ それがやりたいことなのか、そうでないことなのか
という違いなんだよね。
やりたいことなら、簡単にスイッチが入るし、というか、自動的に入るし。
でも、それが終わったら、当然のことながら手を離すのでオフになる。
ここには、なんの努力もいらないし、やってる最中に、スイッチが切れないように、と、見張る必要なんて、全くない。
私が講師をしているときに、「講師でいなきゃ」なんて思ってないし、「講師のスイッチ、切れてないか?」なんて心配もしないもの。
だけど、たいして気乗りのしないこと、余りやりたいとは思わないことをやるときには、スイッチ入れるの相当大変だし、ちょっとでも気を抜くと、すぐにスイッチが切れてしまうので、スイッチを押し続けるためのエネルギーは、半端なく使う。
そこが大きく違う所なんだよね。
だから、後者にとっては、何かに取り組むに当たって、モチベーションというのは非常に重要なものなの。
それをやる喜びや楽しみがないと、ものすごく大変。
やらなきゃいけないからやる、っていうことをするのが、ものすごくつらいのね。
で、人によっては、本当にやりたくないと思ってしまうと、全くスイッチが入らず、それについては全く出来なくなってしまうのね。
多分、前者も、やりたいこともやりたくないこともあるだろう。
でも、きっとあなたたちは、モチベーションが低くても、その人の能力なりのレベルでは、それに取り組む事が出来るのだろう。
やらなきゃいけないから、といわれたら、やる気が無くても出来てしまうだろう。
本当にやりたくないと思ったときは、それをやらないだろうけれど、それは決して、出来ないのではなく、自分の意志でオフのスイッチを押して、やらないだけなんだろうね。
でも、後者はそうではない。やりたい、という気持が薄れると、オンのスイッチを入れ続ける事が出来なくて、スイッチから手が離れてしまい、動けなくなってしまうのだ。
また、やりたいことも、スイッチを入れないと出来ないが、それは軽やかに入れる事は出来る。
でも、そこから気持ちが離れたときには、スイッチが切れて、出来なくなる。
そういうことなんだと思うのだ。
だから、もしあなたが前者で、後者を使わないといけないとしたら、やる気に気を配るのは大切なこと。
やる気にさえなれば、勝手に自分でスイッチ入れて、バンバンやっていけちゃうヤツなので、それさえ出来るようになれば、かえって楽で頼もしいヤツになる。
でも、「やらなきゃいけないから」なんてこと言ってやらせようとしたら、逆にスイッチ入れられなくなっちゃうからね。
そうなると、かなりのお荷物になるので、本当に注意されたし。
この記事へのコメントはありません。